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大きな変化の時期を迎えている日本のお墓

大きな変化の時期を迎えている日本のお墓

日本のお墓は大きな変化の時期を迎えています。この変化を起こしたのは、永代供養と呼ばれる新しいシステムのお墓の登場です。永代供養が登場する前の日本のお墓は、明治時代に制定された家制度に基づく、先祖代々家族が同じお墓に葬られる家墓というお墓が中心でした。お墓は家の跡継ぎによって引き継がれ、寺院の檀家となることで供養とお墓の管理を受けることができました。

しかし時代が進むにつれ日本は家を大事にする社会から個性を尊重する社会へと変わり、それに応じて家を中心とした生き方も多様化するようになりました。結婚をせずに生涯独身で過ごす方や、結婚しても子供を持たない夫婦、子供は男女問わず1人とする家庭など、家を中心にしていた時代には想像できないような生き方が登場しています。

そしてこうした状況の進展はお墓を引き継ぐ人が少なくなる状況を招くこととなり、家墓を維持できなくなる家庭が増えることとなりました。こうした時代に対応するかのように登場したのが、お墓を引き継ぐ人がいなくともお寺がお墓の管理と供養をずっと行ってくれる永代供養墓です。

不特定多数の人が一緒に埋葬される共同墓や1人1人埋葬される個人墓、夫婦で1つの墓に埋葬される夫婦墓など、利用する方の様々な希望に対応したお墓を選べることから注目を集め、その数は年を追うごとに増えています。この永代供養が登場して30年以上になります。

永代供養墓として最初に登場した久遠墓

永代供養墓として最初に登場した久遠墓日本に永代供養という新しい形のお墓が登場したのは、今から30年以上前の1985年のことになります。登場した場所は滋賀県大津市にある比叡山延暦寺。平安時代に最澄が開いた、天台宗の総本山の寺院として多くの方に知られている、日本を代表する寺院の1つです。

久遠墓と呼ばれる最初の永代供養墓は、共同で納骨室を利用する共同墓こそ無かったものの、2000基近くの個人墓、夫婦墓などを設置できる広大な敷地を用意し、利用システムは30年以上たった現在でも十分に通用するという、立派なものでした。

登場した1985年頃は、一時は回復傾向にあった出生率が再び減少を始め、その流れが止まらないことが問題となっていた時期でした。出生率は1.5と女性が生涯に出産する子供は2人を大きく下回り、1つの家庭に1人の子供が多くなる少子化の進むことから跡継ぎに悩む家庭が増えていました。

跡継ぎに悩むということはお墓を引き継ぐ方に悩むことも意味します。少子化により家墓を維持することに悩む方が増えた時期に登場した、お墓を引き継ぐ方を必要としない初めての永代供養墓ですから、天台宗の総本山である延暦寺が運営するお墓ということもあり、テレビや新聞などのメディアに何度も取り上げられるなど大きな注目を集めました。

本格的に広まったのは2000年から

1985年に比叡山延暦寺に開設された久遠墓に続いて、1987年には新潟県にある角田山妙光寺で安穏廟、1990年には東京都巣鴨でもやいの碑といった永代供養墓が開設され、こちらもテレビや新聞などのメディアに取り上げられ注目を集めました。

しかし永代供養の本格的な広まりはもうしばらく後の2000年からとなります。このきっかけとなったのは、前年の1999年に部分改正された「墓地、埋葬等に関する法律」です。それまで引き継ぐ方のいない無縁墓から遺骨を取り出し他のお墓に移す改葬には様々な手続きが必要とされていましたが、この法律の部分改正によって大きく簡略化されました。これにより引き継ぐ方がいないお墓を永代供養墓に移すことが簡単になったため、永代供養の普及が本格的に始まりました。

また1990年代後半から普及しつつあったインターネットが2000年以降急速に普及したことにより永代供養の情報提供や募集が行いやすくなったことも、永代供養が本格的に広まる一因となっています。こうして2000年から現在までに永代供養の普及が本格的になったことから、現在では全国で500を超える寺院が永代供養墓を運営するようになっています。

永代供養に対する大きく意識も変わりました

永代供養が本格的に普及するにつれて、永代供養墓に対する意識も大きく変わりました。永代供養が登場してしばらくの間は、やむを得ない場合には利用するという、積極的に利用することに対して抵抗を感じる意識を持つ方が多くいらっしゃいました。

これは当時の永代供養墓の供養・管理システムがしっかりできておらず不安を感じるものであったことや、お墓の外観に満足できるものが少なく、中には供養されなくなった無縁墓から取り出した遺骨などを保管する無縁塔に似たものもあったことなどが原因と言われています。

しかし2000年以降には永代供養墓の普及が本格的に進んだことで安心して利用できる供養・管理システムを確立した寺院が増え、お墓の外観も様々な希望に合い満足できるものが増えました。これにより永代供養墓に対する意識を変える方が増え、積極的に利用したいと考える方が増えています。

これは厚生労働省が平成10年度に行った永代供養についての評価調査や平成19年度に千葉県市原市が行った永代供養に対する評価調査の結果に表れています。

生き方の多様化に対応した永代供養墓が登場し運営する寺院が増えているだけでなく、このように永代供養に対する意識も積極的に利用したいと変化していることからも、日本のお墓は大きな変化の時期を迎えていると言えるのです。

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※調査期間:2021年1月1日~2023年12月31日
調査概要:「いいお墓」に掲載されている全国の企業における
永代供養墓の販売数を調査。株式会社鎌倉新書調べ
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