【住職インタビュー】時代が求める取り組みと、誰もが気軽に立ち寄れる空間づくり-興福寺
調査概要:「いいお墓」に掲載されている全国の企業における
永代供養墓の販売数を調査。株式会社鎌倉新書調べ
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永代供養墓の販売数を調査。株式会社鎌倉新書調べ
東京都八王子の地で先祖代々受け継がれてきた興福寺を守る雨宮範雄住職。大学卒業後は、同寺や他寺院でのお勤めをされながら、民間企業で営業職に従事されてきました。2007年(平成19年)より前住職であるお父様から引き継ぎ、同寺第24世住職に就任。現在では宗教者であるとともに保護司など、これまでの経験を活かされた幅広いご活躍をされています。そんな雨宮住職にお寺のことやご自身のこと、そして永代供養墓に対する想いなどをお伺いしました。
住職プロフィール
雨宮範雄(あめみや・はんゆう)
1967年(昭和42年)東京都八王子市生まれ。曹洞宗 聚林山千光院「興福寺」第24世住職。
大学仏教学部を卒業後、厳しい修行を経て、他寺院でのお勤めをしながら保険会社に約20年間勤務。2007年(平成19年)より同寺第24世住職に就任。また、現役の保護司として20年以上活動を行っている。
興福寺は高尾山に近い京王高尾線「狭間駅」から徒歩8分、圏央道「高尾山I.C」より車で15分の閑静な住宅街と緑豊かな山々に囲まれた場所に位置します。横に切ったクスノキを柱にしてあることから「横木の門」と呼ばれる山門をくぐると、荘厳な本堂が出迎えます。境内には、弁財天の祠がある池や、約200年前に植樹されたという枝垂桜があり、季節を楽しめる散策や憩いの場所として近隣住民に親しまれています。
お寺について
脈々と一族で受け継がれてきたお寺
──興福寺はどのくらい前に建てられたお寺なのでしょうか。
このお寺は1580年(天正8年)、関東十八代官※に名を連ねた雨宮勘兵衛氏のご先祖様、雨宮秀徳氏によって開基された今年で441年になるお寺です。
※関東十八代官(別称:八王子十八人代官)…江戸幕府にかけて、徳川氏の領国であった関東地方の領国支配を担当した四人の代官頭のうち、武蔵国横山(現在の八王子)の代官頭に属した代官のこと。
──開基された方とご住職が同じ苗字“雨宮”ということは、一族で代々受け継がれてきたお寺ということでしょうか。
そうですね。私で24代目住職になりますが、雨宮家で代々続いている由緒あるお寺になります。これほど長く一族で続いているお寺は結構珍しいと思います。幸いにも、お寺が移転するような災害等も起きていないのでお寺自体もずっとこの八王子の地にあります。
──お寺の名称にもご先祖様との深い結びつきが表れているとか。
開基家の千光院秋庵秀金居士と、その妻である聚林院月窓祐鑒大姉の諡を山号及び寺院名とし、「聚林山千光院 興福寺」と称するようになりました。
年代問わず様々な人が訪れる地域憩いの場
──年間行事としては2月に「聚林山稲荷祭」を行われていますが、どういった内容でしょうか。
毎年初午の日に行っている行事で、諸災防除・家内安全・子孫繁栄などを祈願して、約200年前に建てられたとされる「稲荷大明神」の前でご祈祷を行います。檀家さんだけではなく、近所の方々も参加される行事になっています。ご祈祷が終わった後は、料理をお出しして皆さんの元気な顔を見ながら楽しくお話をしています。これを楽しみに来られる方もいらっしゃいますね。
──このように集まれる機会や場所があることは地域の方にとっても嬉しいですね。
そうですね。あとは、昔は裏庭でゲンジボタルの飼育をしていたので、夏になると境内の池に放ってゲンジボタルの鑑賞会も行っていました。また、寺院入口には稲荷大明神と同じ時期(200年以上前)に植樹されたとされる枝垂桜も春になると立派な花を咲かせるので、地元の観光スポットになっています。
──自然と人が集まってくるお寺なのですね。
保育園のお散歩コースや近くで働く方のお昼休憩の場所にもなっていて、みなさん気軽に立ち寄ってくれています。境内にはトイレやゴミ箱、池の前にはベンチも設置し、お参りに来られた際にもゆったりとお過ごしいただけるよう、環境を整えています。
──今後、新たに行ってみたい行事はありますか。
8月28日がお寺の創立日になるのですが、それを記念した「万灯会※」をいつか行いたいと考えています。たくさんのお灯明をともす中でコンサートとかも開催してみたいですね。幻想的な雰囲気の中で行う法要は、来てくださる方々の心に残る一時になるのではと思っています。
※万灯会…一万坏あるいはそれに準ずる多くの灯明をともして,仏・神を供養する法会。
住職について
民間企業で培った経験とスキルを活かした活動
──ご住職のご経歴を教えてください。
興福寺の長男として生まれ育ち、大学の仏教学部を卒業してからは、神奈川県足柄市「大雄山 最乗寺」で修行をしていました。その後は、土・日・祝日のみ横浜市の「海門山 興禅寺」でお勤めをしながら、興福寺の副住職としてのお勤め、そして平日は保険会社に勤務していました。
──民間企業で働かれていたのですね。
そうなんです。約20年間保険会社の営業担当として働いていました。営業の世界では、年齢・性別・キャリア等に関係なく、売上での評価が重視されるのですが、私は性格上向いていたのか、営業成績は常にトップクラスでした。その後は、前住職であった父が体調を崩したことをきっかけに、40歳の時、興福寺の住職を引き継ぐことになりました。
──お寺のお子さんとして生まれ育たれ、そのまま仏教の世界に入ることへの抵抗はありませんでしたか。
嫌だった感情はありませんでした。ただ、小さい頃から常に“お寺の子ども”として周りから見られてきたので、プライベートの時でもお坊さんとして見られることへは抵抗がありました。あと、当時の修行は刑務所より厳しいと聞いていたのでそれが嫌だった記憶はあります(笑)。でも、それは宿命だと思って、覚悟を決めて修行に励みました。
住職になるまでは比較的自由にさせてもらっていたので、仏教以外の世界を見て、体験することができました。それが今の寺院運営をはじめとする、あらゆる活動に活かされているのではと思っています。
──保護司としても活動されていると伺いました。
はい。父親も法務教官を務めていましたが、私も現役で約20年保護司として活動をしています。少年院や刑務所から出た子を相手にしたり、刑務所にいる少年・少女と手紙のやり取りをしています。また、法改正などもあるので、研修会や勉強会には積極的に参加して、知識を更新しています。
──地域社会に貢献された活動ではありますが、ボランティアとして活動されるには体力的、精神的にかなり大変ではないでしょうか。
私自身も子どもの頃はやんちゃだったので、こういった子たちの気持ちは分かる気がします。なので、結構得意な方だと思います。難しい事案は私のところに来ることが多いですね。
──ご住職としてだけではなく、保護司としても地域の方に頼られている存在なのですね。
仲間が何よりの財産
──幅広く活動をされてお忙しいとは思いますが、日々どのようなスケジュールを過ごされているのでしょうか。
ご葬儀やご法要ももちろんありますが、細かい作業や来客の対応、打合せが多いです。
──今日もご訪問者やお電話がよくありますが、そんな中でお休みはありますか。
先日、宗旨・宗派関係なくお付き合いのある僧侶や関係者の仲間と集まってBBQを行いました。私が運転するワンボックスカーで熱海の方まで日帰りで行ってきました。
──ご住職自身が運転されたのですか!?
私はいつも仲間たちに支えられていますから、これぐらいは(笑)。ご法要の際や何かあった時に一声かければみんな集まってきてくれるので、仲間にはとても恵まれています。私の財産です。
──ご住職の趣味や好きなことはありますか。
昔からバイクや車などの乗り物が好きです。若い頃はバイクのプロの養成所にも通っていました。今一番興味があるのは船です。免許を持っているので、仲間たちを乗せられる大きな船を買って集まれたらいいなと思っています。
──ちなみに、初めてお会いした時、ご住職の身体つきの良さに驚いたのですが、何かトレーニングなどされているのでしょうか!?
自宅の一室にトレーニングルームがあるので、時間があればそこでトレーニングをしています。老化防止というか健康のためにも運動をするように心掛けていますね。
──そうだったのですね!だからこんなに寒い日でも健康的に裸足なのですね。
氷点下でも裸足です。靴下も靴も履かず、ずっとサンダルです(笑)。
興福寺の永代供養墓について
これからの時代を見据え建立した永代供養墓
──2013年(平成25年)に永代供養墓を取り入れられた背景を教えてください。
永代供養墓に対する認知や情報、種類も今ほどなかった10年前から、お寺を支えてきた檀家制度が長く続くことは困難になると予想していました。そこで、お寺にとっても、お墓をお求めになられる方にとっても永代供養墓が必要になる時代が必ず来ると考え、永代供養墓を取り扱っている業者さんを調べ、エータイさんを見つけ声を掛けさせてもらいました。
──他社さんもあったかと思うのですが、当社に決められた理由は何だったのでしょうか。
当時の社長(現会長)と会ったときに、社長の人柄を見てこの会社だったら任せられるなと思いエータイさんに決めました。それに、私の考え方と似ている部分や独創的な部分もいいなと思いました。何かを先駆けて実行する人って独特の雰囲気や自信が感じられるんですよね。
──ご縁をいただけて感謝しております。周りに先駆けて永代供養墓を取り入れられた時、周囲からはどのような反応がありましたか。
他のお寺さんからは「永代供養墓をうちでも取り入れたいから相談にのってほしい。」という声を多くいただきました。ただ、永代供養墓を取り入れるにも、その場所の人口比とかもあると思うので、そういったマーケティングの部分も見て相談にのっています。
──檀家さんや地域の方の反応はいかがでしたか。
反対の声はありませんでしたが、当時は永代供養墓の先駆けといったところで少し懐疑的になられている方はいらっしゃいました。ですが、いろんな方が永代供養墓を決められていく姿を見て、安心して受け入れてくださるようになりました。
──10月20日には永代供養墓の合同供養祭も行われていましたね。
毎年行っている行事ですが、今年もコロナ禍の影響により、僧侶のみでのご法要とさせていただきました。これまでは、300人くらいの方にお越しいただいていました。
──実際にお伺いさせていただきましたが、多くの僧侶の方がいらっしゃって立派な供養祭でした。
ほんの一声掛けただけですが、たくさん集まってくれたので有難いですね。
──ご住職の人望の厚さがうかがえました。
──ご法要で心掛けられていることはありますか。
ご参列いただく方の人数が多くなると、式全体の動きもよりスムーズに進めなければいけません。私の指示一つでお経を伸ばしたり、全体の段取りも常に考えながら行っています。
あと、日頃心掛けていることとしては、仏教の専門用語や一般的に伝わりづらい難しい言葉は使わないようにしています。対機説法という言葉があるように、話す相手に合わせて伝えなきゃいけないですよね。伝わってこそですから。
最後に
誰もが気軽に訪れ、繋がりを認識できる場を目指して
──ご住職から見た興福寺の好きなところや魅力を教えてください。
東京都でありながら自然がたくさんあるところですかね。あとはお寺の敷居が低いところ。先ほどお話した行事などもそうですが、檀家さん関係なく地域の方が来てくれたり、散歩がてらふらっと立ち寄る方がいたり、気軽に出入りしていただける雰囲気のお寺というところが魅力なのかなと思います。
──これから地域の方にとってどんなお寺で在りたいですか。
文化、そして地域の中心となるお寺であることでしょうか。かつてお寺は、どこの地域にもあり、寺子屋やそこに住む人たちの交流の場であったり、今でいう市役所のような役割も果たしていました。そういった地域コミュニティーの中心となる役割を、今の時代でも繋いでいきたいと思います。ご縁や繋がりを再認識してもらう場所を提供し、そのための豊かな環境を整えていきたいと思います。
──ご住職自身としてはいかがですか。
永代供養墓をお申込みいただく方とは、ご法要時に初めてお会いすることが多いのですが、「住職見たからってクーリングオフはないよ。」なんて、たわいもない話もよくするので「面白い住職さんだね。」ってみなさんから言われています(笑)。そんな風に気軽に接していただける雰囲気づくりを心掛けています。生きている方も亡くなった方も気持ちよくお参りして、気持ちよくお茶を飲んで帰ってもらえる、そんな空間をこれからも提供していきたいですね。
──本日は貴重なお話をありがとうございました。
インタビューを終えて
現代のニーズに先駆け取り入れられた永代供養墓や、今後のビジョンについてもお話していただいた雨宮住職の姿には、仏教という伝統を重んじながらも、時代に合わせた役割を果たすべきという熱いパワーを感じ取ることができました。時折、記事にできないような裏話を冗談交えお話くださる、そんな親しみ溢れるご住職のお人柄が、檀家さんや地域の方々、そしてたくさんの僧侶の方々に愛されている証なのではと思いました。
【主な年中行事】
1月1日 元旦会
2月初午の日 聚林山稲荷祈祷会
2月15日 涅槃会(お釈迦様の命日)
4月中旬 戦死病没者慰霊法要
6月1日 大施餓鬼会
10月20日 合同供養祭
12月8日 成道会(お釈迦様が悟りを開いた日)
【関連情報】
・興福寺公式HP:https://dev-bridge.jp/kofukuji/
調査概要:「いいお墓」に掲載されている全国の企業における
永代供養墓の販売数を調査。株式会社鎌倉新書調べ
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