【住職インタビュー】訪れる人たちが心を開放し、安心できる場所を地域と共に創り上げる-仁叟寺
調査概要:「いいお墓」に掲載されている全国の企業における
永代供養墓の販売数を調査。株式会社鎌倉新書調べ
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群馬県吉井町にある500年以上続く格式高いお寺の長男として誕生された渡辺啓司住職。本山での修行後、仁叟寺末寺の龍源寺住職として当時無人だった寺を拡張し、檀信徒教化や境内整備など数々の功績を残されてきました。平成10年(1998年)より仁叟寺31世住職に就任以来、地域一丸となった行事や避難所指定への取り組み、里山再生事業など地域の拠り所となるお寺を目指し精力的な活動を続けられている渡辺住職に、お寺の歴史やご住職自身のこと、これからのお寺の在り方について伺いました。
住職プロフィール
渡辺啓司(わたなべ・けいじ)
昭和25年(1950年)群馬県吉井町生まれ。曹洞宗天祐山公田院「仁叟寺」第31世住職。
駒澤大学仏教学部卒業後、本山である横浜・總持寺と福井県・永平寺での約3年半の修行を経て、昭和50年(1975年)に龍源寺第29世住職就任および仁叟寺副住職を兼務。平成10年(1998年)より第31世仁叟寺住職に就任。群馬県總和会会長、吉井町仏教会長、曹洞宗群馬県宗務所長などを歴任。令和元年(2019年)より群馬県駒澤大学同窓会会長。
仁叟寺は、上信越道「吉井IC」より車で2分、「吉井駅」より徒歩15分の山々に囲まれた自然豊かな場所に位置しています。荘厳な山門をくぐると、本堂を中心に数々のお堂が配置よく建立され、正面には仁叟寺のシンボルツリーであり三大銘木の一つでもある樹齢500年のカヤの木が訪れる者をあたたかく出迎えてくれます。
お寺について
室町時代からの歴史を紡ぐ“花と歴史と文化財”のお寺
──まずは、仁叟寺の歴史について教えていただけますか。
このお寺の一番の特色は、大変歴史が長いということです。室町時代の大永2年(1522年)、奥平貞能公により創建され、初代住職は渋川市にある雙林寺第4世住職の直翁裔正禅師になります。また、奥平公は徳川家康公の長女亀姫を妻として迎え、徳川家との関係が深い人物でした。
明治24年(1891年)には、政府内務省より古社寺保存法※の指定を受け、徳川家の時代から今日に至るまで大切に保護をされてきたお寺になります。
※古社寺保存法…明治に制定された現代日本における文化財保護の礎となった法律。
──境内には指定文化財の「山門」や「鐘楼堂」など数々の建造物が建立されていますが、それらはこの地に長くあるものでしょうか。
有難いことにこれまで一度も火災などの災害にあっていませんので、お堂をはじめとする仏像、古門書、書画、経典、多岐にわたる文化財が今でも残され、大切に保管されています。
──仁叟寺の三大銘木の一つ「五輪桜」は地元メディアにもよく取り上げられていますね。
大樹苑(永代供養墓域)にも関係が深い五輪桜は、地中から5本の大きな幹が天空に向かって伸びている大変珍しい形の桜になります。この辺りでは一足先に満開になりますから“春を呼ぶ桜”として地域の人々に親しまれています。
また、初代住職がお手植えになった県指定天然記念物「カヤの木」や、明治維新の暴動を受けた際、当時の住職がこの寺を守るため手に取った長刀の柄にも使われたとされる樹齢350年の市指定天然記念物「モクの木」が、「五輪桜」とともに仁叟寺の三大銘木と言われています。
メディアも注目!地域の人々と築き上げてきた恒例行事
──主な年中行事を教えていただけますか。
大きな行事としては、まず大晦日から元旦にかけての「除夜会」。108回鐘をつき、甘茶や温かいお茶で参拝者をもてなします。2月3日の「節分会」では豆まきを行うのですが、露店の出店や厄を払い福を求めて例年多くの方が来られます。3月に入りますと、家内安全・五穀の豊穣・身体健勝を祈る江戸時代より脈々と続く伝統行事「大般若会・大施食会」を行います。大勢のご住職様をお招きし、市指定文化財でもある600巻の大般若経を転読します。
この後も、4月の花祭り(お釈迦様の誕生日)やお盆、お彼岸などのさまざまな行事を檀信徒の皆様と地域の方のご協力をいただきながら行っております。
──「節分会」は地元メディアにも大々的に取り上げられている恒例行事の一つですが、いつ頃から始められた行事でしょうか。
友好寺院関係を築いている中国山西省・五台山顕通寺と同じ文殊様を作り建立する許可をいただいたことがきっかけでした。その文殊様が来たのが平成7年(1995年)、この機会に文殊様の福、功徳を皆様に広く分け与えようと考え、現在の「節分会」の形になりました。
──具体的にはどのような内容なのでしょうか。
豆まきの行事になるのですが例年、地元企業様からワインや座布団、日用品など1,000点以上の品物をご提供いただき皆様にお配りしています。さらに、最低1,500人分の餅と豆のセットを用意して、来られた方全員に何かしらのものを持って帰っていただくようにしています。
また、中学生以下の子どもを対象に5~6種類のお菓子を詰めた福袋を配る「ちびっこ節分」は、学校が終わると子どもたちが飛んでくるほどの人気のプログラムになっています。
──“空飛ぶラーメン”というものがあるとお聞きしました。
福豆、福餅のあとに300~400袋分のインスタントラーメンを投げるのですが、その光景がなかなか壮観で。それを取材した記者が名付け、今では節分会の名物になっています(笑)。
二世代にわたり参加する夏休みの宿泊体験「子ども坐禅会」
──お子さま限定の1泊2日で行われる「子ども坐禅会」を夏休みの時期に開催されていますが、こちらはどのような内容なのでしょうか。
朝夕の坐禅や作務(掃除)、法話といったお寺での修行生活を体験します。ただ、厳しいだけではあまりいい思い出にはなりませんからスイカ割りや水ロケット、花火大会もします。境内を一周して行う度胸試しでは、地域のボランティアさんに子どもたちを脅かす役をしてもらうのですが、中には半べそをかいて戻ってくる子もいます(笑)。
──これだけ内容が盛りだくさんですと、一生忘れられない思い出になりますね。
参加された方が大人になり、「本堂で泊まったとき、早く寝なさいって怒られました(笑)」なんて言ってくださる方や、35年以上続く行事になってくると、今度は参加された親御さんの子どもさんが参加してくれたりしてこれは嬉しいですね。
──地域行事もそうですが、子どもだけで泊まれる体験が少なくなってきている中、このような体験をお寺でできるというのは大変貴重な機会ですね。
昔は、地域の子どもが集まる行事がたくさんありました。そして、それを助けるのが大人たちの役割でもありました。ところが今は、危ないとか、安全じゃないとか、あるいは手がかかりすぎるなどの理由で地域の伝統行事がなくなってきています。だからこそ、お寺は伝統行事や古くからのしきたり、考えなどを残していく大事な使命があるのだと考えています。
──仁叟寺が中心となって地域と一緒に行事を行われているのも、このような想いがあってこそなんですね。
そうですね。喧嘩しあって泣いたり、協力しあったり、そんな風に子どもたちが集える場所をお寺は遠慮せずにどんどん作っていくべきだと考えています。何か一つ行うにしても、手間も費用もかかるし結局自分たちだけでは何もできません。いろんな方のお世話になって、それが結果として、地域とお寺との繋がりや結束力が強くなると信じ活動を行っています。
住職について
仏教に向き合うきっかけをくれた母と老師の言葉
──ここからはご住職自身のことについてお伺いしたいと思うのですが、仁叟寺は先祖代々から引き継がれているお寺になるのでしょうか。
渡辺という苗字になってからは、私が4代目になります。仁叟寺には多くのお弟子さんがいたと記録に書かれていますので、そのお弟子さんの中から住職に相応しい人間をその時の住職が指名して引き継がれてきたお寺になります。
──ご住職自身は仁叟寺で生まれ育たれたのですね。
生まれたのは、現在私の息子が住職を勤めている龍源寺になります。中学生までそのお寺で過ごし、卒業後に私の祖父母が住んでいたこの仁叟寺に引っ越してきました。それから駒澤大学仏教学部を卒業して、大本山である總持寺と永平寺での修行を経て、龍源寺の住職を拝命し、仁叟寺の副住職との兼任を勤めていました。
──小さい頃から仏教の道に進みたいというお気持ちはあったのでしょうか。
全然なかったですね(笑)。この道に進むのが嫌で駒澤大学とは別の大学に行きたかったのですが、大学闘争の影響で入ることができず、大阪の友人のところへ逃げていました。
──そこから仏教の世界へ戻ろうと思われたきっかけは何だったのですか。
今でもよく覚えているのですが、母親から手紙が送られてきて、「お前は大阪の工場でアルバイトをしているということだけれども、お前がやることはそれじゃない。この仁叟寺を守る大切な使命を持っているんだから、一刻も早く戻りなさい。」という内容が切々と書かれていて。
──お母様の手紙がきっかけで戻られて、駒澤大学に入られたのですね。
大学卒業後の修行時には老師から、「お前は仁叟寺の孫か。仁叟寺は本当にいい寺だぞ。」と言われ、「なんでこの人は俺のことを知っているんだ。」と思ったのと同時に、「こんな風に本山の人が仁叟寺やじいさんのことを知ってくれているんだから、これはしっかりしないといけない。」と思ってそこから気合が入った修行になりました。
──お母様と老師様のお言葉がなかったら、今のご住職はなかったかもしれませんね。
人間はどういうタイミングがきっかけになるかわからないけれど、私の場合は母親の手紙と修行中の老師の言葉でした。それで正路にもどったというところは今思えばありますね。
──ちなみに、当時ご住職がやりたかったこととは何だったのでしょうか。
それは恥ずかしくて言えないね(笑)。
──気になります!教えてください!
実は物を書きたかったんだよね。高校生の頃からいろいろ書き留めていて、大学生の時には同級生のデザイナーのお姉さんに挿絵を入れてもらい小さな詩集を出版しました。そしたら、ジェットストリームっていうラジオに紹介されることになって、嬉しくて当時お付き合いをしていた今の女房と一生懸命聞いていましたね。そういうこともあって、学校も文学部に進みたい気持ちがありました。でも今振り返れば仏教学部でよかったと思っています。
──現在も趣味などで書き物はされているのですか。
今は全くできていないですね。ただ、役員や宗務所所長もしていたので、それらに関わる原稿は多く書いていました。一番大変だったのは祝辞弔辞の原稿です。皆さん歩んできた人生が異なるのでそれにあったものを書かなければいけないのですが、私はひな形を読むことはしなかったので全部自分で書き上げていました。けれど、そういうのはあまり苦ではなかったですね。
周囲の期待を背負いながら過酷な修行の日々
──本山での修行はどのような内容だったのですか。
当時の修行は常に引っ叩かれたり、水をかけられたり、また出されるご飯はお粥と少しのおかずのみで腹が減って仕方なかったです。頭の中は常に食べることと寝ることで、甘い物を食べたくて観光客に頼み込んでこっそり羊羹を食べたりしていました(笑)。
──今では考えられないほど壮絶な内容ですね。修行中のエピソードなどはありますか。
修行中の外出が許可されたある日、母親にレストランに連れて行ってもらい、私と母の分のステーキを注文したのですが、母が全然食べていなくて。聞くと、「お腹いっぱいだから食べていいよ。」と言ってくれたのでその時は気にせず食べていたのですが、年を取ってから振り返ると、私があまりにも餓鬼道に落ちたようなひどい食べ方をしていたので哀れに思って食べられなかったんだろうなということに気が付きました。
──修行中、逃げ出したいと思ったことはありましたか。
毎日叱られるのが仕事のようなものでしたから帰りたかったですね(笑)。みんな一度は思っていたんじゃないですかね。だけど、檀家さんに「頑張ってきてください。」と送られた手前、修行から逃げてきたとなったら一生この道では生きられないと思って頑張りましたよ。あの頃はとにかく体を維持していくのに必死でしたね。
──修行を一緒にされていた僧侶の方とは今でも交流はありますか。
同じ修行をして、同じ釜の飯を食べた仲間が100人ほどいるのですが、年に一回同窓会をやります。全国から集まった仲間と「あの時、お前のおかげでみんな怒られたじゃねぇか(笑)」なんて昔話に花を咲かせています。
お寺元来の役割を担いながら、災害時の駆け込み寺としての役割も
──ご住職の毎日を教えてください。
まず朝一番は本堂の扉を開けます。そうすると朝の光と風が入ってくるのですが、一日の始まりを感じますね。そのあと境内の仏様にお線香を立てて、お勤めが始まります。それから掃除と3代目の寺番犬が来たのでその犬のお世話です。あとは境内を手入れしてくれる方が交代で来てくださるのでその打ち合わせを行っています。コロナ前までは会議や打ち合わせで一日の半分は外に出ていましたね。
──今日もそうですが、ご来寺される方が多いですね。
誰も来ない日はないほど毎日お客さんが来られますね。昔は、名前を付けてほしいとか、子どもが非行になったので坐禅でもしてやってくださいとか、兄弟の揉め事の相談に乗ってほしいなど様々な相談を受けていました。
──かつてお寺は寺子屋や市役所のような役割も担っていましたね。
お寺が地域の中心だったのですが、だんだんそういったことも減ってきています。ですが、やはり地域の中で生きていけないとお寺の将来はないと思います。だからうちは災害時の避難所として、地域企業様や地域の方の理解と協力をいただきながら、万が一のことが起こった時に500人が避難場所として利用できる指定避難所として市に働きかけました。
──そのような想いと動きがあって、高崎市では民間初の避難所に指定されたのですね。
皆様のご協力をいただいたおかげで平成25年(2013年)に指定されました。お寺が避難所に指定されるのは県内では初めてです。年に一度、子どもから大人まで参加する避難訓練も行っており、今後も災害時の駆け込み寺として果たすべき役割を担っていきたいと思います。
仁叟寺の永代供養墓について
あらゆる人の悩みに応えるべく建立した永代供養墓
──2020年3月に建立された永代供養墓“大樹苑”。建立された理由を教えてください。
まず一つは家族構成の劇的な変化を受け、お墓の在り方が変わり、家族単位の縦の繋がりが続かなくなってきたと感じたことです。また大樹苑を始める前に建立した普同塔で気付いたこともありました。当初は夫婦のみで入れるお墓と考えていたのですが、実際入られる方は全然違いました。姉妹や母娘、入籍していない事実婚の方など、本当にいろんな方がいらっしゃるということがそこで初めて分かりました。
二つ目は、お墓を作る(継ぐ)ことで“次の世代に負担をかけてしまう”と思う方が増えたこと。次の世代は次の世代の考え方に任せ、自分たちの考えを強要しない、そんな考えを持つ方が圧倒的に多くなってきたと感じて永代供養墓の建立を決めました。
仁叟寺の檀家さんだけなんとかすればいいという話ではなく、住職としてお墓の承継者がいなくなった方やお墓のお悩みに対して何とかしなければいけないという思いがありましたね。
──永代供養墓を建立された時、周囲の反応はいかがでしたか。
うちはいつも最初に大きく始めるので意見を言われることが多いのですが、永代供養墓を建立したときも周りのお寺からはいろいろ言われました。「なんで檀家墓にしないんだ。」とか、「曹洞宗のお寺として宗旨宗派不問で受け入れるのはおかしい。」なんて。それでも、仁叟寺の住職として一貫した考えや信念がありましたので、何を言われてもやりとおしました。
──仁叟寺の三大銘木「五輪桜」の側に建立されたのも何かお考えがあってのことでしょうか。
桜の側がいいとは最初から決めていました。日本人は桜が好きですし、春になると近隣や遠方から五輪桜を見に来る方もいるので、桜の近くだと永代供養墓が目につきます。実際来る人からも大樹苑のことを聞かれるので相乗効果が出て良かったなと思います。
──永代供養墓に決められる方にどのような想いがありますか。
“仁叟寺に来ればどんな形でも必ず面倒を見てくれる”という安心感を提供したいと思っています。生活困窮者であろうが、様々な事情で罪を犯した人であろうが、みんな仏の子になるのですから。
最後に
地域の人が一年を通して訪れる、群馬県指折りの里山に“里山再生事業”
──今後どのようなお寺を目指そうと考えられていますか。
終始一貫して“地域に開かれた”お寺を目指しています。その為に地域の人が集まるさまざまな行事や避難所にも指定されるような活動を行ってきました。日本全国約7万7000あるお寺がコロナ禍も相まってどんどん存続が厳しくなっていますが、この先、お寺が生き延びていくにはお葬式と法事だけをやっていればいい時代ではないと思っています。
──里山再生事業もこのような想いがあっての活動なのでしょうか。
そうですね。7年前から里山再生事業として竹林の整備、草花の植樹を行い、このお寺に来たら一年中花が見られる、そんなお寺を目指しています。毎回地域の方が40人くらい集まってくれるのですが、「10年経ったら花見ができるようになるからうまい酒でも飲もう。」と言っています。あと3年で群馬県指折りの里山にします。この里山作りも地域の大事な活動で、私の住職としての大事な勤めでもあります。
今後も地域の方が集まる行事や教室を開催したり、さらに子どもの面倒も見てくれる、災害があったら逃げ込める、年中四季折々の草花を楽しめる、そういったことを通じて受け入れを広くし、開かれたお寺を目指し、創り上げていきたいと思います。
──本日は貴重なお話をありがとうございました。
インタビューを終えて
仁叟寺で開催されている数多くの行事や教室は、お寺単体で行われているのではなく、先祖代々からの檀信徒さんをはじめとする地元企業や地域の方々の協力と繋がりの中で初めて“地域みんなで楽しめる”行事になっているのだと感じました。「頼ってくれれば面倒は見ますよ、徹底的に。」というご住職のお人柄あふれるその言葉こそが、地域の中心となり必要とされ続けているお寺そのものではと思いました。
【主な年中行事】
1月1~7日 初詣り・年頭回り
2月3日 大節分会
2月15日 釈尊涅槃会(お釈迦様の命日)
3月第2日曜日 大般若・大施食会
3月17~23日 春季彼岸会
3月下旬~4月8日 観桜祭
4月8日 花祭り(お釈迦様の誕生日)
7月下旬 子供禅の集い
8月13~16日 孟蘭盆会
9月20~26日 秋季彼岸会
10月下旬 檀信徒参拝研修旅行
12月8日 釈尊成道会(お釈迦様が悟りを開いた日)
12月31日 除夜会
<定例教室>
毎月最終土曜日 ヨガ教室
毎週水曜日 定例坐禅会
隔週水曜日 梅花講
隔週土曜日 華道教室
【関連情報】
・仁叟寺公式HP
・公式YouTube、公式Facebookもあります。
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