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埼玉県春日部市で400年以上の歴史を誇る「妙楽院」の住職いしかわあきしげさん。地元春日部で5人兄妹のご長男として生まれ育たれてきました。僧侶の資格を取得後は同寺の副住職を勤めながら、民間企業でさまざまな経験と知識を積まれました。現在では同寺の住職として『ほうおんしゃとく』を礎とした教化活動を精力的に行われています。そんな石川住職にお寺のことやご自身のこと、そして永代供養墓に対する想いなどをお伺いしました。

住職プロフィール

石川晃成(いしかわ・あきしげ)
1978年(昭和53年)埼玉県春日部市生まれ。真言宗智山派「がっこうさん みょうらくいん」第二十二世住職。
高校卒業後、真言宗智山派の教育機関「智山専修学院」にて僧侶資格を取得。同寺副住職を勤める傍ら民間企業に勤務。2009年(平成21年)、父である先代住職の急逝により住職に就任。

妙楽院は「春日部駅」東口より徒歩5分、江戸時代に定められた五街道の宿場町のひとつ「かすかべ宿じゅく」として栄えた姿を今なお残すエリアに佇んでいます。現在境内では、弘法大師生誕1250年を迎える2023年(令和5年)に向けて、1971年(昭和46年)に建てられた本堂の修繕工事をはじめとする山容整備事業が行われています。

お寺について

近隣のお寺と共に地域に根付いてきた妙楽院

──まずは妙楽院の歴史について教えてください。

この春日部市粕壁地区というのは、昔「粕壁宿」といって日光道中の宿場町として大変栄えていたと言われています。当時の様子が書かれた地誌「しんぺんむさ稿こう」には、今でも親戚のようにお付き合いをさせていただいている「しんぞういん(春日部市)」さんと共に建立されたと記されております。また、近くの「さいしょういん(春日部市)」さんを本寺として、妙楽院を含めた近所の10カ寺が末寺となっております。

※日光道中…江戸時代の五街道の一つ。

──いつ頃建立されたお寺なのでしょうか。

1607年(慶長12年)にそんかいという僧が開山されたと記されています。尊海は第五十六第清和天皇の後裔であるなかとうもんげんそんそうの弟で、真言宗智山派総本山「しゃくいん(京都府)」での修行後に僧侶となり、妙楽院を開山したと言われています。

──400年以上の長い歴史があるお寺なのですね。

実はその歴史の中で、1886年(明治19年)の火災により今の場所に移転してきています。墓地はもともとこの場所にあったのですが、本堂はここから500mほど離れた新町橋の方にありました。そのため、お寺の由来などについての書物は残っておらず、ご本尊も焼失してしまいました。ただ辛うじて脇仏の4体だけは救出され、今現在も本堂で大切に保管しております。

本尊の地蔵菩薩立像と法大師座像、興教大師座像

脇仏の1体「あいぜんみょうおう坐像」は、1112年(天永3年)頃の第七十四代鳥羽天皇の作と寺の口伝では伝わっております。新たに作られたご本尊は、1887年(明治20年)に春日部市旭町の仏師・吉見誠山作と言われており、近年では弘法大師座像、興教大師座像、十一面観音立像を春日部市梅田の仏師・岩松拾文師に作っていただきました。

愛梁明王坐像

『報恩謝徳』を教化活動の基として

──妙楽院では『報恩謝徳』を礎とした教化活動をされているとのことですが、こちらはどのような想いが込められた言葉なのでしょうか。

こちらは、“受けた恩義や徳に対して感謝の気持ちを持ち、お返しをする”といったことを意味しています。永代供養墓域にもこちらの言葉を彫刻した石造を建立させていただきました。

永代供養墓域にある『報恩謝徳』の石造

──素敵な意味の言葉ですね。

宗祖弘法大師空海は『教王経開題』というお経の冒頭部で『父母の恩』『じょうの恩』『国王の恩』『さんぽうの恩』の四恩の大切さを説いていると言われております。

まず『父母の恩』ですが、こちらは父と母またご先祖様へのご恩になります。父と母の存在が無ければ私達はこの世に誕生することさえ出来なかったでしょう。それさえ無ければ今こうやってお話をすることも仏教に触れることもありません。また、父母だけではなく祖父母を始めとするご先祖様があって今の自分がありますので、そういった先祖崇拝の気持ちを忘れずに感謝していきましょうという意味になります。

次に『衆生の恩』とは、現代風に言えば“社会への恩”と言換えることができます。例えば、コンビニに買い物に行っておにぎりを買ったとします。お金を出せば簡単に買えますが、そのおにぎりが自分の手に届くまでにどれだけ数多くの人が関わったでしょうか。現代社会を支えている一人一人のおかげでそういったものが成り立っていると。社会に携わっている全ての人に感謝の気持ちを持ちたいという意味になります。

3番目の『国王の恩』というのは、現在日本には国王はいらっしゃらないので今に置き換えるなら“国家の恩”と言換えることができると思います。戦争や紛争が起きている国、食べ物や水が十分にない国、また自由が制限されている国といったさまざまな国がある中で、比較的住みやすく安全で平和な日本という国に産まれてきたことへの感謝の気持ちを持ちましょうという意味になります。私達が快適に暮らせるのも国家が安定しているからこそですね。

最後の『三宝の恩』というのが仏教のことになります。三宝というのは仏教における三つの宝『仏・法・僧』のことです。最初の『仏』というのが悟りを得た仏様のこと、その仏様の教えのことを『法』、その法を広めたのが『僧』ということになります。私も一人の僧侶として仏様の法を皆様にこのようにお伝えさせていただいております。仏様の法は、真理であり大変有り難い教えです。このような事を学べることに対しても感謝の念が絶えません。

──ありがとうございます。ご住職のお話を聞いて、改めて毎日の生活に感謝する気持ちを持ちたいと思いました。

私達は様々な形で恩を受け、そのおかげで生きています。すべてのものに対して『ありがとう』という気持ちを皆様に持っていただきたく、取り組みをしております。

お盆・お施餓鬼の時に使う精霊棚

──その中で主な年間行事やお取り組みをお伺いさせてください。

まず春と秋のお彼岸です。それぞれ春分の日、秋分の日を中日とした前後3日間、計7日間ずつが期間とされています。「彼岸」という言葉は古代インドで使われていたサンスクリット語の「パーラーミター」(波羅蜜多)の漢訳で「到彼岸」の略であると言われています。修行によって迷いを脱し悟りを開いた彼方の岸を彼岸と言い、「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の6つ(六波羅蜜)を修業することで、彼岸に行くことができるとされていました。そこで彼岸の境地に達するためにお墓参りをし、先祖に思いを馳せ、供養を行うようになったと言われております。この時期には追善法要のご依頼が多数あり、お墓参りをしてくださる方々で境内が賑わいます。

次に夏の時期にはお盆、おを行っています。この地域では、8月12日にお迎えをして15日がお送りの日となっております。この両日は提灯を持った檀信徒の皆様が夕方集まり、それぞれにご先祖様をお迎えとお送りを行っております。8月13日と14日は新盆供養の為に各檀家さんのお家へ訪問して精霊棚に棚経をお唱えします。続いて8月18日はお施餓鬼法要を行います。こちらは「最勝院」さんを本寺とする末寺の皆様と一緒に、順番にお寺に集まり法要を行います。コロナ禍前は檀家さんにもお越しいただき、多いときは何百人もの方にご参加いただくこともありました。

──その他にはどのようのことをされるのでしょうか。

 毎年10月に開催されていた真言宗智山派埼玉第三・四・五教区合同教化推進会議というところに檀家さんと参加をしておりました。真言宗智山派の高僧による御法話を拝聴出来る良い機会だったのですが現在はコロナ禍の為にここ数年は延期になっております。
 また11月には参加希望される檀家さんと一緒に寺院にお参りにいく「団体参拝」を行っておりました。過去に、金沢寺町寺院群・妻沼歓喜院(熊谷)・高尾山薬王院・川崎大師平間寺・成田山新勝寺・総本山智積院(京都)等にお参りを致しました。また檀家さんと一緒に行ける日を楽しみにしております。

住職について

幼少期から慣れ親しんできた仏教の世界

──ご住職自身について、これまでのご経歴をお伺いできますか。

私は5人兄妹の長男として生まれ育ちました。父と母は、弟や妹たちの面倒を見ることが多く、幼少期は一緒に暮らしていた祖母と過ごす時間が多かったです。

──5人兄妹とは驚きました!ご兄妹の年齢は離れているのですか。

それが4人目までは全員年子なんです(笑)。小学校のときは全学年に兄妹がいましたね。

──とても賑やかなご家庭で育たれたのですね。

祖母も妙楽院と同じ真言宗智山派「しょうふく(栃木県宇都宮市)」というお寺の出だったので、小さい頃から毎朝一緒にお経を唱えていました。幼い頃から仏教という環境に慣れ親しんでいたこともあって僧侶になることへの抵抗はなく、地元の高校を卒業した後は真言宗智山派の教育機関「智山専修学院」に1年間入り、僧侶の資格を取得しました。

──その後はそのまま妙楽院に入られたのでしょうか。

その後は、妙楽院の副住職を勤めながら運送会社や葬儀会社などの民間企業で働いていました。他にも、地元の春日部青年会議所に入るなどして様々な経験をさせていただき、いろんな方との繋がりも持たせていただくことができました。

──住職に就任されたのはいつ頃でしょうか。

先代住職である父の急逝により、2009年(平成21年)に住職を引き継ぐことになりました。

──そうだったのですね。突然のご就任だったと思うのですが、当時不安などはありましたか。

やはり心の準備ができていなかったので不安な時期はありました。今でこそ『報恩謝徳』という言葉を教化活動の礎とさせていただいておりますが、当時は自分らしい教えを模索していましたね。

『今、この瞬間を生きる』ある一冊の本との出会い

数年前の住職、自分の道を模索する日々

──現在はどのような毎日を過ごされていますか。

朝起きてから夜寝るまで常に『今、この瞬間を生きる』ということを心掛けて生活をしています。この言葉は、住職に就任させていただいてから自分らしい教えを探していた時期に見つけた言葉です。

──何かきっかけはあったのでしょうか。

近所の先輩住職たちは、宗派の事にとても詳しい方や幼稚園を運営し教育者として成功されている方、市役所勤務の経験があって地元のことにとても詳しい方など尊敬する先輩方ばかりなのですが、そのような素晴らしい先輩方に囲まれている中で、自分らしい何かを自身に何ができるのかを模索していた時に「サーチ・インサイド・ユアセルフ」という元Google社員が開発したマインドフルネスを実践する本と出会いました。そのことをきっかけにマインドフルネスに関する本を何十冊も読んで学び、研修などにも参加し、『今、この瞬間を生きる』という言葉を日々心掛けるようになりました。

──“マインドフルネス”というワードは最近よく書店などで見かけますね。

そうですね。マインドフルネスとは心の状態を表していて、直訳すると『気を張っている状態』『意識している状態』という意味で、もう少し言葉を補うなら『ただ目の前のことに集中する状態』と言えるのではないかと思います。

マインドフルネスを実践することにより、日々の暮らしのひとつひとつを丁寧に行え、その瞬間を大切にすることが出来ます。また、マインドフルという状態は“正念”とも言い、お釈迦様の説いた『八正道』にも繋がります。

『八正道』とは、人間が正しい生き方をするための八つの方法で、ひとつでも実践すれば他の七つもおのずと動き始めるという意味になります。『しょうけん…正しく見る』『しょう…正しく考える』『しょう…正しく話す』『しょう…正しく行動する』『しょうみょう…正しく生活をする』『しょうしょうじん…正しく努力をする』『しょうねん…正しく意識する』『しょうじょう…正しく心を整える』これらすべてを実践出来ると言われております。

──仏教にも通じているのですね。ご住職はマインドフルネススペシャリストをはじめ、マインドフルネスセラピストなどさまざまな資格を持たれていますが、今後お寺でそのような教室を開催される予定はありますか。

丁度コロナの時期が重なって進められていなかったのですが、そろそろ開催してみたいなとは思っています。まずは良い状態の本堂で簡単にできる瞑想の教室を行ってみたいです。

──ちなみに、阿字観講師の資格をお持ちとのことですが、こちらはどういったものなのでしょうか。

真言宗の瞑想法である阿字観瞑想は、阿字の仏様と一体となって仏の心を感じることを目的としています。阿字観を行う前には清浄体操によって身体を整え、より瞑想しやすい心身となってから行います。阿字観はインドのヨガが基になっていて呼吸がとても大切です。呼吸によって体から悪い気を吐き出し、心身ともに清浄にしていきます。

プライベートの趣味は仏教から一番遠い西洋の“タロット占い”

──ご住職の趣味や好きなことはございますか。

現在の趣味はタロット占いです。コロナ禍で家や寺の中にいる機会が多かった時、何かをやってみようと思って始めたのが占いでした。いくつか入門書を読み惹かれたのがタロット占いでした。

──なぜタロット占いだったのでしょうか!?

占いにもいろんな種類があって、手相や暦を見て縁起がいい日を占うお坊さんがいたり、真言宗独自の占いもあるのでそれらもいいかなって思ったのですが、仏教的な要素を含んでしまうと趣味ではなく仕事になってしまいそうだったので、仏教から一番遠そうな西洋発祥の占い、タロット占いを選びました。

──実際始められてみていかがですか。

やってみるととても楽しくて好きになりました。タロットカードの歴史は古くて15世紀のイタリアの貴族たちの間で広まっていたという説があります。そこからルネサンスがあって印刷技術が発達して、それまでは貴族しかカードが持てなかったのが民衆に広まったと言われております。タロットカードは西洋の歴史とも深く関わっているので、東洋とはまた違った文化圏のことを学べる良い機会にもなっています。

妙楽院の永代供養墓について

多様化する現代の問題を解決すべく建立した永代供養墓

妙楽院の永代供養墓「やすらぎ」と永代供養付個別墓「やすらぎの郷」

──2021年(令和3年)に永代供養墓を取り入れられた経緯を教えてください。

私が住職に就任して1年後の2010年(平成22年)、エータイの樺山会長より永代供養墓のお話をいただきました。ただ、その頃はまだ日々の寺務にも慣れておらず、新しいことを始める余裕がなかったのでお断りをさせていただきました。

その後、2019年(令和元年)の秋に檀家役員の皆様と金沢へ研修旅行に行った際、臨済宗の「ほうしょう」さんというお寺に訪問する機会がありました。こちらのお寺では寺カフェを運営されていたり、住職さんは有名な書道の先生だったりするのですが、境内にはとてもモダンで現代的雰囲気の永代供養墓と樹木葬墓地が建立されていました。それらを檀家役員さんと見学して「もうこういう時代なんですね。」「妙楽院にも永代供養墓は必要だね。」という話になったんです。

そうしたら、たまたま翌年に樺山会長から再度お話をしたいとご連絡をいただき、金沢でのこともあったのでこちらとしても是非お願いしたいということでお話を進めさせていただきました。

──すごい良いタイミングだったのですね。檀家さんと一緒に永代供養墓をご見学されていたことも良いきっかけでしたね。

そうですね。妙楽院の檀家さんはすごく理解のある方ばかりです。当時すでにエータイさんが提携されていた埼玉県の真言宗「眞乗寺」さんと「平等寺」さんの永代供養墓を檀家役員さんと一緒に見学させていただきました。両寺院のご住職からも大変よくご説明をいただき、永代供養墓建立を決めました。

・眞乗寺の永代供養墓はこちら
・平等寺の永代供養墓はこちら

妙楽院の永代供養付「樹木葬」

──当初、永代供養墓に対してご住職自身はどのようなお考えがありましたか。

現在の社会は人生や価値観が多様化してきています。お墓に関しても代々引き継いで管理できる方がいなかったり、子どもに恵まれず後継者がいない方、埋葬するお墓を購入できない方、そもそもお墓や供養に興味がない方などと様々なケースがあると思います。

このように様々な状況がある中で今まで通り檀家さんになっていただきお墓を建ててもらう形しかない場合、多くの方の行き場がなくなってしまうのではと感じておりました。そこで、そのような方のお悩みを解消できるのが永代供養墓であり、現代社会においては今後必ず必要なものであると考えておりました。

──永代供養墓を開苑してから何か変化はございましたか。

これまでこの地区には永代供養墓がなかったからか、開苑時から大変多くのお問い合わせと新たなご縁をいただいております。中には都内在住の方で比較的アクセスも良く、地元の東北と都内を結ぶ中間地点ということから東北にあったお墓をこちらに移してこられた方もいらっしゃいます。

また、様々なご家庭の状況がありここまでたどり着いた方から「やっといい場所が見つかって良かったです。」と仰っていただいた際には、永代供養墓を建立して良かったなと心から感じました。お求めになる方がいらっしゃる限りこれからも力の限りお手伝いをさせていただこうと思います。

──永代供養墓を決められる方で一番多いのはどのような方ですか。

一番多いのは後継者がいない方や、お子さまがいらっしゃってもお子さまに迷惑をかけたくないという方、自分たちで整理できるうちに整理してあげたいというお気持ちをお持ちの方が大変多いです。

妙楽院の永代供養付個別墓「冥福五輪塔」

──日々のご法要や供養をされる中で心掛けられていることはありますか。

『供養』という言葉はお寺ではよく使いますが、辞書で調べると『死者の霊に供え物をして、死者の冥福(死後の世界での幸せ)を祈ること』と出てきます。例えば、お線香やお花をお上げしたり、お墓参りに行くことも供養になりますよと言いますが、何事もやらされたり誰かに言われたからお墓参りに行くのではないと考えています。

私の場合は、法要の最後にご本尊様に一礼するときには「みつごんじょうでどうか安らかにお過ごし下さい。ありがとうございました」と心の中で言い、長めの礼をさせていただいております。何かを準備したり、お彼岸だからお墓参り行き、おはぎ買ってという形式にとらわれがちですが、一番肝心なことは心を込めてご先祖様に「ありがとうございました」とお伝えするとだと思っています。

※密厳浄土…大日如来様の国のこと。

最後に

『報恩謝徳』の気持ちを持っていただけるお寺を目指して

──ご住職から見た妙楽院の好きなところ、魅力を教えてください。

妙楽院の檀信徒の皆様はとても多彩で信心深い方が多く、そのような方々に日々支えられてとても感謝しております。この間も檀信徒様で書道家のせきめいじょう先生から立派な額に入った書道の作品を寄贈していただきました。関根先生はかねおうてい記念賞をはじめ多数の受賞歴のある方で、この度の山容整備事業への無事成満の願いを込めて、また妙楽院のますますの発展をご祈念いただきご奉納くださりました。

関根鳴城先生から寄贈された作品

──大変立派な作品ですね。

護持運営にご尽力いただいている皆様には大変感謝しております。

──このような素晴らしい皆様に支えられている中、お寺またはご住職は地域にとってどのような存在でありたいと思われますか。

妙楽院は宿場町の末寺であり、敷居も高くありませんので、どんな方にも親しみやすい雰囲気のある寺院だと思っています。そういった長所を活かして、どのような方にも心安らかにお参りをしていただき、自身が生きていることへの感謝(=報恩謝徳)の気持ちを感じていただける場所であると確信しております。

──本日は貴重なお話をありがとうございました。

インタビューを終えて

妙楽院の教化活動の礎である『報恩謝徳』や、ご住職が日々心掛けられている『今、この瞬間を生きる』という言葉。それらの意味や想いをお伺いし、インタビューをさせていただく中で自身の心にも響くものがありました。現在の趣味はタロット占いであるとお話をされるご住職の穏やかな雰囲気と、何事にも探求心を持って取り組まれているまっすぐなお姿が多くのお檀家さんからの支えと信頼を得られている証なのではと思いました。

【主な年中行事】
3月  春のお彼岸
8月  盆供・施餓鬼会法要
9月  秋のお彼岸
10月 真言宗智山派埼玉第三・四・五教区合同教化推進会議への参加
   ※現在はコロナ禍の為、中止
11月 団体参拝
   ※現在はコロナ禍の為、中止

【関連情報】
・妙楽院アカウント 
Twitter:https://twitter.com/myourakuin
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Instagram:https://www.instagram.com/myourakuin

妙楽院の詳細はこちら

※調査期間:2021年1月1日~2023年12月31日
調査概要:「いいお墓」に掲載されている全国の企業における
永代供養墓の販売数を調査。株式会社鎌倉新書調べ
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