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安土桃山時代から435年続く歴史ある古刹・廣済寺の渡邊わたなべ宗禅そうぜん住職。画家という異色の経歴を経て、平成24年(2012年)より第26世廣済寺住職に就任。「本当の自分」を見つけていくことが人生の醍醐味と考えられている渡邊住職に、お寺のことやご自身のこと、そして永代供養墓に対する想いなどをお伺いしました。

住職プロフィール

住職プロフィール

渡邊 宗禅(わたなべ そうぜん)
昭和37年(1962年)生まれ。東京都渋谷区出身。臨済宗りんざいしゅう建長寺派けんちょうじはへいたくさん廣済こうさい」第26世住職。
武蔵野美術大学大学院を修了後、画家としてフランスに渡り、帰国後は南伊豆にある潮音寺で制作活動に励む。そこでご縁があり平成9年(1997年)に仏教の道に進み、神奈川県鎌倉市の建長寺での修行を経て、平成14年(2002年)に潮音寺の住職に就任。その後、平成24年(2012年)より廣済寺第26世住職に就任。

廣済寺の山門

廣済寺は、JR五日市線「東秋留駅」から徒歩10分ほどの場所に位置します。境内には、地元の名所である「しだれ大桜」や、東京都の文化財にも指定されている「田中丘隅の回向墓」、「お手玉石」と呼ばれる石、北側の一画には「弁財天湧水池」があります。「お手玉石」は江戸時代に多摩川の治水工事に参加した力自慢の男が、川原で見つけたこの長径110cmもある大石を家に飾ろうとして、片手でお手玉を扱うように持ち帰ったというエピソードのあるものです。ほかにも厄除け地蔵、水子・子育て地蔵など様々な見所があります。

お寺について

435年の歴史、田中丘隅との繋がり

──まずは、廣済寺の歴史について教えていただけますか。

開創は天正15年(1587年)までさかのぼります。文政3年(1820年)の大火により、三間さんけん四方しほう(※1)の阿弥陀堂、どう(※2)など山門以外の施設がすべて焼失してしまい、保管されていた古文書や寺記までが失われたために、現在でははっきりとわかってはいません。
天保元年(1830年)に昌平坂しょうへいざか学問所がくもんじょ(※3)の文士たちの調査によって完成した「新編しんぺん武蔵むさし風土記稿ふどきこう」によると、開基は現在の寺社がある平沢村の名主・八郎左衛門はちろうざえもんの先祖となっており、窪嶋九右衛門・和泉守親子と考えられています。

文政の火災から16年後の天保7年(1836年)には寺が再建されました。昭和24年(1949年)に罹災により、再び本堂と庫裏を焼失しましたが、檀信徒の皆さまのおかげで、平成6年(1994年)に元の姿に復旧させることができました。

※1三間さんけん四方しほう…1辺6mの正方形。
※2どう…四方に張り出した屋根をもつ建物。
※3昌平坂しょうへいざか学問所がくもんじょ…寛政2年(1790年)、神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教学機関・施設。

山門を入り右手奥に進むと、江戸時代を代表する民政家、田中たなか丘隅きゅうぐ回向墓えこうはか(東京都の文化財)があります。田中丘隅は、享保の改革において、テレビドラマでも有名な大岡越前にその手腕を認められ、後に役人や武士階級だけでなく優秀な民間人の登用を勧めた農政・民政の意見書「民間みんかん省要せいよう」を著し、将軍吉宗より多摩・埼玉の三万石を与えられ代官に抜擢された郷土出身の偉人です。

田中丘隅の回向墓

年中行事やイベントの復活を祈って

──年中行事や定期的なイベントは現在実施されていますか。

大勢の方が集まる年中行事や毎月実施していた坐禅会などは、今はコロナの関係でなかなかできていない状況ではありますが、落ち着いたら今後はまた復活していきたいと思っています。

──坐禅会はどのような経緯で始められたのでしょうか。

私たちの宗派は禅宗なので、坐禅をして自分の内面を見つめていくというのが、もっとも大事な取り組みです。日常生活の中でゆっくり落ち着いて「自分の心を見つめる時間」をつくることは難しいと思いますが、皆さんにもそのような時間を作ってもらいたいと思い坐禅会を始めました。ご自宅では難しいという方に、お寺という静かな空間を提供しております。

私たちは普段の生活があまりにも忙しすぎるので、じっと静かに何も考えないで過ごすということがありません。ほんの少しでも自分の心を見つめる時間をつくることで、日常生活がより豊かになればと思っています。一度やっていただくと、「頭の中がすっきりした」とおっしゃる方が多くいらっしゃいます。

──坐禅会のときに何かご指導はされるのでしょうか。

坐禅と聞くと「厳しい、なんとなく怖い、足がしびれてつらい」などのイメージがありますが、廣済寺の坐禅会はそんなことはありません。「楽な姿勢でリラックスする、全身の体の力を抜いていく」ことに集中してもらっています。

大事なことは呼吸です。「体中に宇宙のエネルギーを取り込みながら、心身ともにリラックスしていく」そういうところを丁寧に指導させていただきます。ゆったりと体の力を開放して、自分の意識を内面に向けられるような状況を調えていきます。そのあとは自然に自分の内側に入っていけるようになるでしょう。

──その他にも今後のお取組みとして考えていることはありますか。

コロナがおさまったら、地域に向けての色々な取り組みをして、お寺をもっと開かれた場所にして、可能性を拡げていきたいですね。

過去には、お寺の境内で「いやしの」というテーマで2日間かけて様々な催しを実施したことがありました。本堂でヒーリングハープやジャズのコンサートをやったり、ヨガや坐禅会、写経や仏画を描く体験、地元の方々が作った商品の販売や製作体験ができるクラフト市などもやりました。落ち着いたら、またそういったことをやっていければと思っています。

住職について

画家から僧侶への転身

──ここからはご住職自身のことについてお伺いしたいと思います。仏教の道に進むまでのご経歴を教えていただけますか。

特殊な経歴かと思いますが、幼少の頃からの夢は画家になることでした。私は生まれは東京都渋谷区で、その後は九州の福岡で学生時代を過ごしました。武蔵野美術大学に入学して日本画家としての道をスタートし、大学院修了後はフランスに渡り、さらに画家の修行を続けました。フランスから帰国した後は、縁あって伊豆半島の南伊豆にある無住のお寺だった潮音寺ちょうおんじで暮らすことになり、そこをアトリエとして10年ほど制作活動をしていました。

そんな中で、潮音寺の兼務住職の和尚さんと懇意になり坐禅会にも参加するようになりました。やがて本格的に禅の修行がしたいという気持ちが芽生え、35歳の時に意を決して出家しゅっけ得度とくどし、神奈川県鎌倉市の建長寺の専門道場に入門しました。修行を終え潮音寺に戻り、40歳の時に潮音寺の住職になりました。

住職になった後は、お坊さんとして何かできることはないかと考え、布教師という資格を取って全国に布教の旅に出ました。かれこれ10年ぐらい潮音寺にご厄介になっていたある時、廣済寺のお盆の行事で法話をさせていただく機会がありました。それが3年間続き、当時は廣済寺も住職がいなかったこともあり声をかけていただいて、このお寺に来ることになりました。廣済寺の住職になったのは、50歳のときでした。

渡邊住職が描かれた日本画

建長寺での厳しい修行生活

──建長寺の修行ではどのような日々を送られたのでしょうか。

修行は鎌倉時代とほとんど変わらないことをやっていました。お風呂やご飯もすべて薪で焚きますし、お手洗いも自分達で汲み取りをして、山の上にある畑の肥料にしていました。生活自体が現代の社会とは一線を画していましたね。

修行僧は坐禅堂というところで寝泊まりをします。畳がずらっと並んでいて、その畳一枚のスペースが自分の修行生活の場所になります。そこは坐禅をする場所でもあり、夜寝るときはそこに柏布団にはさまって寝ます。食事は食堂じきどうという所でとります。

食生活は精進料理なのでお肉やお魚はありません。例えば、朝はお粥と漬物、昼はご飯とお味噌汁、夜はお味噌汁にご飯を入れておじやにして食べます。時には、うどんや、建長寺発祥のけんちん汁が出たりもしました。料理するのも修行僧なので、その人のセンス次第でしたね(笑)。食事の作法もとても厳しく、音を一切立ててはいけませんでした。うどんの時だけは例外で、修行僧たちのうどんをすする音が響きわたっていましたね。

──朝は早いイメージがありますが、起床から就寝まではどのようなスケジュールになるのでしょうか。

朝は夏場だと3時半に起床して、朝のお勤めをして、坐禅をして、夜が明けだしたら外に掃除に出て、掃除が終わったら日中はたくはつ(※1)に出て貴重な現金収入を得ます。作務さむといって掃除や畑仕事をして、日が暮れたらお風呂に入り、夜は墓地の前に座布団を敷いて坐禅をしてからようやく就寝でした。もう寝る時間はほとんど残されていません。

※1たくはつ…僧侶(修行僧)が鉢を手に持ち、網代笠あじろがさをかぶり草鞋わらじを履いて街を歩き、お布施を受け取る修行。

──修行で特に苦労されたことはありましたか。

修行道場に入って最初に大変なのは坐禅ですね。坐禅ができて初めてそこからスタートなのですが、とにかく足が痛いし、体中がガチガチになり、その上に睡魔にも襲われます。修行に集中できるよう眠気を冷ますために警策けいさくという棒で打ちますが、やがて背中は真っ赤に腫れ上がり燃えているかのようでした。それでも眠いのです。

そのような修行を通して、やがて全ての感覚が研ぎ澄まされていき、五感を超えた感覚が徐々に目覚めてきました。坐禅中に線香の灰がポトッと落ちる音が響くように聞こえることもありました。

「本当の自分」を見つけていくことが人生の醍醐味

──ご住職のプライベートについてもお聞きしたく、ご趣味はありますでしょうか。

「美しいもの見て綺麗だな、美味しいもの食べて美味しいな」と思うように、人間の感性に訴えかけてくるもの、心を震わせてくれるものに興味があります。人は肉体の五感で外界を感じ取って生きているわけなので、美しさに満ちた世界にいる方が心が清らかになると思います。自分がどのような世界を感じながら毎日を過ごしているのかということを意識しています。

なので、音楽を聴いたり、美しい景色を見に行ったりすることが好きです。クラシック音楽が好きなので、昔はよくコンサートに行っていました。特にフランスで暮らしていた時はよく通ったものです。あちらこちらで色々なコンサートをやっていましたからね。

──ご住職が普段大切にされている考え方があれば教えてください。

昔の中国の禅僧の話で「主人公しゅじんこう」という言葉があります。人生の主役は自分自身だということです。どのような環境にいたとしても、人生を創っていくのは他の人ではなく自分なのです。

人生って不思議だなと思いますね。自分でもわからないことが色々起きて、その都度それに直面して自分で何かしらの答えを出していかないといけない。色々な波に揉まれながら、自分で自分の人生を作っていくのが、人生の醍醐味なのかもしれません。そんな人生の中で「本当の自分」を悔いのないように生き切っていくことが大事だと思っています。

あとは、私が一番大事にしているのは「いのち」です。お寺は命を扱う場所です。「いのち」と言葉では一言では言えますが、命とは一体何なのかと探求していくと、どこまでも深いテーマなのです。大事な人をお見送りされた時に、人は亡くなったらどうなるのか、この世から旅立って逝かれた人はどこにいるのかなど、本当に大切なことをお伝えできる場所がお寺なのです。

廣済寺の永代供養墓について

お寺との縁がない方の選択肢に

──永代供養墓を建立された背景・理由を教えていただけますか。

大事な方をお見送りした時に、お寺の檀家さんの場合は、お墓にお骨を納めてお墓参りに来るという伝統的な習慣があるかと思います。一方で、地方から東京に出てきてお墓参りに中々行けなくなってしまった方や、最初から東京で生まれ育ってお寺とのご縁がない方もいらっしゃると思います。そのような方々がご両親や大事な人が旅立って逝かれた時に、旅立った方と触れ合う場所として、永代供養墓や自然葬が選択肢になればと思い建立しました。

お家にお仏壇がない方、お墓参りに行ったことがない方は、「お骨を供養したいけれど、どうすればよいかわからない」と悩まれる方も多いと思います。「お骨を供養したい」という気持ちがどこから生まれるのかを掘り下げてみると、それは思い出だけではなく、旅立って逝かれた方への敬意や愛情などの想いがあるからだと思います。そんな想いを大切にしていただき、お墓参りをすることによって大切な方とつながっていただきたいですね。

地元の名所であるしだれ大桜のもとに建立された永代供養墓

最後に

「自分の家のお庭」のような感覚で来ていただけるお寺に

──地域にとってどのようなお寺でありたいですか。

お寺の境内をご覧になっていただければ感じてもらえると思いますが、誰でも自由に気軽に「自分の家のお庭の延長」という感覚で来ていただける場所にしたいです。自分の家にお庭がない方にも、廣済寺を自分の家のお庭と思っていただければ嬉しいですね。そのために、きちんとお参りしやすい環境を整えて皆さまをお迎えしたいと思っています。

通り抜けも自由ですので、例えば「散歩の途中で通ってみよう」「車で近くを通るから覗いてみよう」という感覚で来ていただきたいです。お寺を自分の生活の中に取り入れていただいて、季節ごとに色々な花が咲いたりと景色も変わりますので、そういうところも楽しんでいただきたいですね。

境内の様子

──ご住職自身はどのようなご住職でありたいですか。

空気のような、禅でいう「無」のような存在でありたいです。お寺と聞くと、仰々しさや、肩に力が入った構えているイメージがついてまわってしまいますが、「自然であるがまま」でいたいですね。お坊さんが偉いだなんてまったく思っていませんし、誰でもみんな同じ人間として、一人一人が尊いと信じています。

皆さんも若い頃は「何者かにならなきゃいけない、一廉ひとかどの人物にならなきゃいけない」と教えられ、そういう思いで人生を過ごす人も多いと思いますが、そんな必要はまったくありません。「偉くならなければ、社長にならなければ、営業成績を上げなければ」というような考えは概念的なもので、本来のありのままの自分とはまったく関係はありません。人間としてはみんなが平等で自分は自分なんですよ。つまり「主人公」で自然体のままで素晴らしいのです。

インタビューを終えて

廣済寺を「自分の家のお庭」という感覚で来ていただける場所にしたいと話す渡邊住職。「自然体が大事」とおっしゃる言葉の通り、インタビューの途中で冗談を交え笑顔でお話くださる、そんなご住職のお人柄が、檀信徒さんや地域の方々に愛されている証なのではと思いました。コロナ禍がおさまり、年間行事やイベントが復活し、大勢の人々で境内が賑わう日が来るのが楽しみです。

【アクセス】
所在地:東京都あきる野市平沢732
最寄り駅:JR五日市線「東秋留駅」から徒歩10分

【主な年中行事】
2月15日 涅槃会ねはんえ
4月8日 花まつり
7月15日 山門大さんもんだい餓鬼会せがきえ
※コロナウイルスの影響により実施を中止する可能性がございます。

【関連情報】
廣済寺公式HP

廣済寺の永代供養墓はこちら